石川 コウ
Kou Ishikawa

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幼稚園 活発で落ち着きはないが集中力のある子供だった様だ。幼稚園では賛美歌に親しむ。
小学校 やはり落ち着きがなく、運動は得意で勉強は苦手な子供だった。頻繁に大怪我をしていた。
兄やテレビの影響で様々な音楽に触れ
The Beatles~チェッカーズ~THE BLUE HEARTS UNICORN、KATZEを好んで聴く。アイドルのキョンキョンが好きだった。
中学校 スポーツで怪我をして挫折してからは少々反抗的な少年期を過ごす。BASSを練習するがすぐに挫折。基本的には遊んでばかりいたが楽しい時代だった。Lenny Kravitz、RED HOT CHILI PEPPERS、Sheryl Crow、Ben Harper、G. Love & Special Sauce、Lisa Loeb、等にのめり込む。友達に恵まれた中学校生活だった。
プー太郎 高校に入学できずフラフラするが、親のすすめもあって、出身幼稚園にボランティアに行くようになる。悩みの中、子供と触れ合う事で精神的に救われる。歌にするでもなく、ノートに独り言?や殴り書きを沢山残している。何も出来ない自分に苛立っていた時期でもあった。
高校 何とか新潟の私立高校に入学。少しは勉強する様になる。親元を離れ寮生活。寮での不自由な生活の中に再び楽器に触れ、歌を作り出す様になる。怪我をしてから美術部に転がり込んで、粘土をいじっていた。部長になったのだが、ギター弾いたりして遊んでばかりいた。
専門学校 仙台の専門学校に入学。アパートで一人暮らしが始まって、焼肉屋でバイトも始める。
音楽の勉強というか人生勉強。師匠と仰ぐTARACOこと小野寺明敏に出会う。LIVE、バイト、デート、時々学校。そんな日々だった。テレビやラジオ、オーディション、色々と楽しかった。石川コウ&fear no oneとバンドスタイルでのLIVEもするようになる。卒業を迎える頃にCDデビューが決まる。
石川コウ初期 「石川コウ」としてCDデビューする。特別な経験を出来た時期だった。自分としてはレコーディング~リリースの時までに成長したのか、早く次を描きたかった。ミュージシャンとして何もかもが荒削り(苦笑)自分自身が成長しきれないもどかしさが続きイライラしていた。後にレコード会社の育成を離れ秋田に生活の拠点を移す。
~現在 秋田に暮らしながら様々な出会いに繋げられ音楽フェスやCAFE、テレビ出演~同様の作曲、福祉施設や学校など、様々なイベントに出演。活動範囲が東北から西日本まで広がってきている所。
とにかく今は出会いに感謝。新たな自分の一面を発見しながら、思い描くものが変化してきている。
初めて聴いた音楽は、たぶん賛美歌。親がクリスチャンだった為、幼少時代は母親に連れられ教会に通ってた。特に珍しい事ではないが幼稚園もキリスト教の幼稚園だった。教会独特のオルガンの音とか、豪快なハモリは今でも何だか安心する懐かしい音だ。

実家の隣がピアノ教室で姉が習いに行っていたり、幼馴染がピアノやエレクトーンをやっていたので自然と音楽に触れる機会は多かったものの、自分から興味を持つには至らず。

5歳年上の兄の影響で小学校低学年でThe Beatlesを聴く。メンバーの名前も歌詞の意味も全く解らないまま何だか気に入ってラジカセに入れてもらって学校の登下校時に歌いながら歩いてた。

ソウルオリンピック?の時だったか、親がBSを我が家に投入。ウッドストック、ソウルトレイン、エドサリバンショーなんかの再放送を見て小学生ながら衝撃を受ける。後の聴く音楽のベーシックになる。
特には Richie Havens、Joe Cocker、Janis Joplin、Sly & the family stone、Al Green、The Beatles、The Rolling Stonesなどの方々には大きな衝撃を受けました。お年玉とかは、とにかくCDに使った。

小学校高学年ではTHE BLUE HEARTS 、UNICORN、KATZE、筋肉少女隊、これまた兄の影響で邦楽も聴くようになる。

中学校ではLenny Kravitz、RED HOT CHILI PEPPERS、Sheryl Crow、Ben Harper、G. Love & Special Sauce、Lisa Loeb、等にのめり込む。毎晩ヘッドフォンをして爆音で聴きながら熱唱してました(笑) 親にしてみれば迷惑だった様…。
当時兄に教えてもらいベースを始めるも、手が小さくて教えてもらった基本が難しくてすぐ断念。レッチリのチョッパーベースばかり練習してた…。今でもBass弾くのは得意じゃないけど。
で、ギター弾いてコード少し覚えたくらいでした。

高校入学する前に訳あって一年間のプー太郎生活。周りの友人達がHIPHOP等にのめり込む中、ろくに楽器も弾けないのに歌詞だ、とか言って詩を沢山書いてた。(どこにやってしまったか不明)

新潟の高校に入学してから、やっと少しギターを弾けるようになる。当時、周りで流行ってたのはゆず、19とかだったかな?僕は山崎正義、スガシカオ、斉藤和義、奥田民生あたりの方々が好きで、たどたどしく弾き語れる程度だったかしら。。
地元の仲良し仲間達も音楽好きで兄と弾き語り練習したりしているとの事で連休や長期休みには秋田に帰って近所の子吉川って川の堤防の東屋でバーベキューしながら歌って遊んだりしていた。「子吉川弾き語り愛好会の集い」ってダサダサなネーミングで数回イベントもやったりしました。通称『子弾き』(コヒキ)
人の曲をコピーして弾き語りしてみて「良い曲だね!」って言われても、「自分で作ったわけじゃないしなぁ~」って事で高校時代にオリジナルを作り始める。当時はバスケット部を怪我して辞めて、美術部に入って放課後はたまに作品作って、大抵は美術室でギター弾いている美術部の部長でした。出来れば美大に進んで彫刻・彫塑の方面を勉強してみたい気持ちだったのだが、「やっぱり粘土は人に習ってやりたくない」(本当は評定平均が足りなくて推薦してもらえなく、かと言って一般で入る学力も無いと気が付く…)
余談ですが高校の一年後輩に笹川美和ちゃんもいました!当時から素敵な雰囲気の女の子だった記憶がある。

とまぁ、その様な理由で美大は諦めて、興味がある音楽の学校に入ろうと仙台にある専門学校「デジタルアーツ仙台」に入学。
我が師となる「タラコ」こと元『阿Q』の「小野寺明敏」に出会い、多大な影響を与えられる。音楽はもちろん、考え方、生き方、様々な面で尊重してくれて、その後の音楽活動、プライベートでも仲良く?僕にとっての一つの物差しと言うか、師匠です。

デジタルアーツ時代の同期にはナイトメアのギターのサキト君もいたし、1年後輩にはサザーランド、ラムランプ、バヤラトと現在も活躍中の同期生達がいます!
もう、仙台では沢山の人にお世話になって、音楽仲間にも恵まれ、自分にとっての音楽の位置付けが変わって行ったのも仙台で過ごした時間があったからだと思う。

2002年VictorのインディーレーベルAja RECORDESからマキシシングル『家族写真』をリリース。仙台で4年ほど過ごし、焼肉屋、居酒屋なんかのアルバイトをしながらライブ活動に勤しんでいた。仙台での生活に慣れてはいたものの、自分の音楽が納得の行くものじゃない状態での活動に疑問が頭の中で育っていく。

自身の状態、家族の問題、将来、色んな事を考え仙台から地元秋田に引越し会社の育成を離れる。

地元にはLIVE HOUSEも無ければCDショップも品揃えが薄い様なところ。音楽をやっていくには厳しい状況ではあるのは間違いなかった。秋田に帰ってきた当初は、地元の飲食店や美容室、新聞社やラジオ局などに挨拶に行き、自分自身を営業?飲食店でのLIVE、福祉施設、保育園の夕涼み会、地域のお祭り、地元での歌う場所も出来てきて、時々仙台にLIVEに通う日々だった。
新しい出会いや、繋がりが増えていき、多少は秋田でも認知されるようになってきた今日この頃ですが、地元に貢献するのは勿論、より、自分自身が高い目標を持って進もうと思っています。

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